振袖はいつから着る文化があったの?振袖の歴史を紹介します。
女性が成人式に着るものといえば振袖がとても一般的な認識です。
一生に一度しか無い晴れ舞台、大事な瞬間を美しく着飾って大事な思い出とする方はとても多いようです。
さて、多種多様な種類が存在する着物ですが振袖はその中でも結構特殊な立ち位置にあるように感じませんか?
着物自体、現代においては着る機会も少なくなり詳しいことを知っている人も減ってしまいました。
今回はそんな振袖の歴史についてご紹介させていただきます。
振袖の原型
現在の振袖の形の原型となったのは着物の脇の部分、八つ口が開いている子供用の着物(小袖)が原型であると言われています。
当時は子供の体温を逃がすための八つ口が子供用には開いていましたが、大人用では袂が子供用に比べかなり短くなっていました。
また振袖は現代とは違い男女どちらも着用するのが一般的でした。
1657年に起きたとされる明暦の大火の原因と噂されている(諸説あります。)振袖火災の原因となった少女も恋い焦がれた少年の振袖と同じものを作らせ、着用していたという話が残っているほどです。
このため振袖は男女的な構造や柄の違いはないようです。
1695年(元禄8年)の頃には振袖を着用していた男女は男性は17歳の頃に、女性は19歳の頃に袖を短くして脇を塞いだようです。
(女性は当時結婚年齢がとても早かったので未婚か既婚かという判断基準は無かったようです)
今の振袖の形になった次期は?
現代の成人式などで見かけるようになった振袖衣装の形となったのは江戸時代初期から後期にかけてのようです。
江戸時代の始まりの頃より若年世代の女性の正装が段々袖丈が長くなっていきました。
1700年頃(元禄時代)はまだ袖丈が55cmから95cmほどと伝わっていますが江戸時代の終盤に差し掛かる頃には袖丈は短くて95cm、長いものは122cmほどになってきています。
袖丈が長くなっていった理由は様々な説がありあまり明確にはなっていません。
調べてみると、江戸時代に入り女性が安定化、庶民に余裕が生まれ文化的な遊びが流行るようになったという説があり、若い女性に舞踊をさせるようになったといわれています。
この時、袖が長いほうがより流麗に見栄えが良くなるという点で袖が長くなっていったという説です。
これより女性だけの衣装として定着、発展していきました。
国と国の堺、関所を通過する時に女性は振袖を着ていないと年齢・身分を隠していると疑われることが多く、結婚前の女性は振袖を着用するということが一般的な認識となっていったと言われています。
実際に関所の近くでは貸し衣装屋があり、振袖を扱っていたそうです。
成人式の歴史
振袖を女性が着用する場といえば成人式が一番に思いつくと思いますがその歴史はどうなっているでしょうか?
調べてみると意外と歴史が短いことがわかりました。
そもそも20歳が成人という認識は近代になってからで、第二次世界大戦よりも後のことです。
最初に行われたのは大戦直後の1946年、埼玉県でとり行われました。
戦後の陰鬱な雰囲気を一掃したいという考えからなのでしょう、当時の若者の感情は絶望感に溢れていたそうです。
これをなんとか元気づけようと催されたのが将来を担う若者のためのイベント、成人式です。
当時とても大きな反響を呼び、またたくまに全国に普及していき最終的に成人の日が制定されるようになりました。
では成人式以前には該当するイベントはなかったかといえば実はあります。
男性は「元服」、女性は「裳着」と呼ばれている通過儀礼がそれにあたります。
とはいえ女性の場合の裳着は地位の高い女性にしか行うことができなかったようですので一般的ではなかったようですね。
このように振袖の発祥、変化の歴史は行われてきました。
また成人式の歴史も調べてみると中々興味深いところもあるものですね。
歴史を知るとまた着物への愛着が少し変化する気持ちになりますね。